仲間紹介

杉本英範:プロフィール

はじめて覚えた言葉が「come !!」(笑)
幼少期と呼ばれるこの時代、親の都合で数年ほど海外にいたそうです。
音楽がかかると、ところかまわず踊ったとか。
ただ、全然覚えてないので、海外経験は無いことにしています。
(パスポートも切れてますし)

小さなころから身体を動かすことは好きだったみたいで、剣道から始まり、ピアノ、少年野球、水泳、スキー、バレーボール。と、いろいろ習い事をさせていただきました。
なかなか今まで続いているものが無いのですが、バレーボールは、特にやってて良かったと思います。

当時、流行った物は、「ビックリマン」「ミニ四駆」「ガンプラ」「キン消し」などなど。
ビックリマンなんかは、シールだけ取って、お菓子の方を捨てる人がいて、問題になったのを覚えてます(笑)
あと、「ミニ四駆は、思った通りに動いてくれない」ということから、漫画と現実の世界にはギャップがあることを知ったのがこの時ですね(笑)

背が小さかったなぁ。。。入学当初、140cm無かったんです。
それでもバレーボール部に入ったんですよ。おもいっきりジャンプしても、ネットから手が出ないんですよ(笑)
でも、そのお蔭か、ジャンプ力が付きまして。たしか中2の全道合宿に来ていたチームの中では、2番だった気がします。

あと、なんでそうなったのか忘れましたが、一部から無視されたりしてた気がするので、たぶん今で言うイジメっぽいことされてたと思います。
当時は嫌でしたね。なんか言葉にするとダメな思いを持ってた気がします(笑)
なので、バレーボールの事だけを考えた時期がありました。そしたら、自然と回りが気にならなくなって、そのうち無くなってました。(たぶんね)
そうそう、中学3年の時に仙台市に転校することになったのですが、バレー部の先生に「中体連まで家にいろ!」と言われたのが思い出深いです(笑)

仙台の某マンモス校に通ってまして、3年間プレハブ?だった気がします。もぉ思い出の教室は存在しません(笑)
時期的なものだと思いますが、ヤンキーに憧れてましたね。
そして、自衛のために空手を習い始めたのを覚えてます。

大学入学で札幌に戻ってきまして、学生生活をエンジョイするために、硬式テニス部に入ったのですが、ガチのテニス部だったため、本気でテニスしてました。良くある?大学には部活しにいってます。って感じでしたね。

実は最初、バレーボール部に入ろうと思ったのですが、身長が低くて入れなかったんです。それでテニス部に行ったんですよね。結局その後、社会人のバレーボールチームにも入りました。

あと、バイトも沢山してた気がします。
回転寿司から始まり、運送会社、引っ越し、鉄工所、飲み屋などなど。

いろいろな仲間と出会った時代でもあり、経験した時代でもあります。
親にはいろいろ迷惑掛けっぱなしで、実家に帰ると「あれ、生きてたのかい?」と言われる感じでした(笑)

実は大学を4年で卒業できませんでして、留年が確定した時に「どうせ大学に行き続ける気も無いので辞めよう」と思い、やめたてた時期がありまして。

軽くどうでも良くなってたのか。「よし!行ったことが無い所に行ってみよう!(国内)」と思って、とりあえず、働き場所だけ決めて、沖縄の久米島に飛んだわけです。
なぜか思い出すのは、ドラマのビーチボーイズです(笑)
民宿の住み込みで、4ヶ月ほどバイトさせていただきました。

その後、東京に出て高校の友達が住んでた寮に居候させていただき。
次は親父の単身赴任先の仙台で居候させていただき、引っ越しや、保育園でバイトして、生きてました。

この6ヶ月で思ったことは、「大学は復学して、ちゃんと卒業しよう」
なんでそう思ったのか、ちょっと忘れてしまいましたが、いろいろ見てそう思ったんだと思います。
子供たちに変な格好を見せれないな。とかとか。

ありがたいことに、大学へは復学できまして、それからの2年間で過去4年間で取得した単位と同じ単位をとりました(笑)

この時、卒業研究で関わらせていただいた多値論理学が面白くなり、勢い余って大学院に行っちゃうんですよね。
ただ、就職活動に失敗して、どこにも就職できなかったのもあったんですけどね(笑)

やっとの思いで、東京のシステム開発の会社に入社させていただきまして、そこでJavaに出会い、禁煙をし、やっと新社会人としての遅めのスタートを切ったのです。
ここでもいろいろな人と出会い、お世話になり、一緒に仕事をしたい仲間がいます。

35歳で無職。
国からお金をいただいていたので、ある意味、国家公務員と同じ。とか冗談を言ってましたが、これほど自問自答を繰り返した日々は無かったと思います。
(詳細は当時のブログなどに書いてあります)

この頃です。
自分が変わり始めたのは。

嫁から紹介してもらった方とお会いして、仲間に出会い、自分を見つめ直し、知人のお手伝いをしながら、自分の夢を探し、また人に出会い、考え、仲間に会い、考え、そして、1つの大きな夢を持つようになりました。
そして、 ちょっと宗教チックなお話しになるかもしれませんが、 人の出会いに偶然は無く、必然しかないな。ということも思い出しました。

そして、この、国からいただいた6ヶ月という時間は、私にとって非常に貴重な時間だったと思います。
なぜなら、起業という行動を取ることになったからです。

夢への第一歩を踏み出す。

「今思えば」なんですけども。
これまでって、人から習ってばかりで、行動してなかったのかも。と。
やっと行動するフェーズに来た感じです。
(正確には、今までも行動してきてるとは思うのですが、インパクトが違う感じです)

恥ずかしながら、私にも夢があります。
というか、無職という時代に、人と国から援助いただいて、夢を持つことができました。
「だから」では無いのですが、人と国に恩返しができるような事をしたいと思っています。

— 私の夢 —
いろいろな方々の起業・創業を助け、財閥(∗)のような、いろいろな企業の大集団を作り、人が活躍出来る「場」を作ることです。
(∗財閥という単語が出てきたのに特に意味はないです。規模感を表すために出しました。1代で終わらない、長く続くというイメージで使っています。他にちゃんとした言葉がありましたら教えてください。)

笑えるほど大きな夢なので、今は笑ってください(笑)

ここまで私の駄文にお付き合いいただきまして、ありがとうございます。
ちょっと長めのプロフィールとか言ってるのに、夢まで語ってすみません。
何かと 分からない事も多いヤツですが、そんなに悪いヤツでは無いので、これからもよろしくお願いいたします。

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